BRAND DESIGN | 猫の時間について考えることが、世界を救う
Written by TAN
/ Architect, Creative Director, CEO
October 4, 2020
建築家の山之内淡です。
今回は、「人間以外の時間について考えること」をテーマに、「猫の時間」と「人間の時間」と「建築の時間」の3つの時間について掘り下げてお話していきます。
「人間以外の時間について考えること」によって、おおらかな気持ちになれる、広い意味での “謙虚さ” が得られると思います。
THE LETTER の第2話でご紹介した “ガイア仮説” にもあるように、地球はもちろん、宇宙全体のバランスが保たれていることによって、私たちは私たちとして存在できています。
しかしながら…「人間が世界のすべてではない」ことを、私たち人類はとかく忘れてしまいがちですよね。
そのような広い意味での “謙虚さ” を忘れてしまった先に、戦争ですとか、教育・経済格差、ジェンダーの問題、環境破壊などが生じてしまっているように思えてなりません。
人間を中心として世界を捉えようとする考え方を、“Humanism(人間中心主義)” と呼びます。
一方で、人間以外の存在も等価に認めようとする考え方が、記事でも何度かご紹介しているように “Animism(アニミズム)” といいます。
日本をはじめとして、東アジアの国々やケルトの国々には、古来から “Animism(アニミズム)” の思想が根付いています。
“八百万の神(やおよろずのかみ)” はまさに “Animism(アニミズム)” そのものですし、ケルトの国々の神話・民話に登場する “妖精” も同様です。
共通するのは、「人間以外の何か」ということ。動物の化身であったり、植物やモノであったりもします。
現在、私たちにとって一番身近な “Animism(アニミズム)” に関係する言葉は、“Animation(アニメーション)” であると思います。
“Animation(アニメーション)” とは「絵に魂を宿す」という意味です。
例えば、“となりのトトロ” のトトロや “もののけ姫” のコダマは、森の妖精がモデルとされています。
宮崎駿監督や押井守監督はケルト文化通で、ジブリの創業初期の頃には、鈴木敏夫プロデューサーや故・高畑勲監督らと共に、ケルトの国々に出向いたりもしたそうです。
ここまでの内容を整理しますと。
「人間以外の時間について考えること」によって、ある種の “謙虚さ” が得られるのではないか?と自分は考えていて、それは私たちの未来にとって、とても大切な価値観だと思っています。
さて、それでは「猫の時間」と「人間の時間」と「建築の時間」の3つの時間について考えていきましょう。
まずは、「猫の時間」から。
猫の寿命は、一般的に20年程度で、1年ほどで成猫になります。
そのため、皆さんご存知のように、猫の年齢を人間の年齢に対応させて数える場合、1ヶ月で4歳、6ヶ月で14歳、1年で18歳、1年半で20歳、2年で24歳という具合で数えますよね。
一方で、「人間の時間」はどうでしょうか。
私たち人類は、動物的には未熟児の状態で産まれてきます。人間の子どもがすぐには歩けなかったり、自分でご飯を食べたりできないのは当然で、身体の機構がまだ未発達だからです。
このあたりは建築の都市計画学の内容になりますが…私たちは “都市” を創り、外敵による身の危険がない安全な集団生活を獲得したが故に、未熟児の状態で産まれ、長い時間をかけて育つという、他の動物からは考えられないような荒業を実現しています。
先ほどの「猫の時間」を「短い」と感じる方も少なくないと思います。
自分も同じで…ブランドステートメントに「できることなら。ずっと一緒に。」という言葉を入れているくらいですので、猫の寿命が人間と一緒の寿命であったのなら、どんなに良いことかと思います…。
しかしながら、「猫の時間」は「人間の時間」とは違います。
私たちにとっての1年と、猫である彼ら彼女らにとっての1年は、同じ1年ではありません。
私たちとは物理的に全く異なる時間の流れを、猫たちは日々体験しています。これは科学的にも明らかな事実です。
具体的にどのような体験なのかは想像するしかありませんが、猫たちの見ている・感じている世界を共有できたらどんなに素敵だろう…と思いますよね。
最後に、「建築の時間」についてです。
建築の時間は遥かに遠大で、最小単位が100年といったところかと思います。
“建築=Architecture” の起源は、キリスト教の教会とされています。
例えば、美しい自然光の表現。また例えば、数学比率を用いた表現といったように。
それは “神” という人間以上の存在を、同じく人間以上の存在である “建築” を創ることによって具現化しよう、とする試みでもありました。
昔から、私たち人類は、建築を、意識的にせよ無意識的にせよ、人間以上の存在と認めてきたことが、建築の歴史を辿るとよくわかります。
「人間以上の存在と向き合うこと」が、建築の一番のおもしろさだと自分は思います。
こうして「猫の時間」「人間の時間」「建築の時間」を3つ並べてみるだけでも、いかに「時間」というものが、それぞれによって異なる相対的な概念なのか、何となく感じられるのではないでしょうか?
相対性理論が示すように、物理的にも「時間」は相対的なものなのは間違いないのですが…より身近な日々の生活においても、時間の相対性への認識はとても大切だと思います。
現代という時代は、様々なサービスが私たちの24時間を奪い合っています。
仕事のON/OFFといった時間の効率化も意識せざるを得ない場面が多々あるでしょうし、
朝早く起きて規則正しく生活することが正しい、といった根拠のない “常識” にとらわれている人もまだまだいるかと思います。
そのように「人間の時間」を尺度に考えてしまうと、どこか息苦しくなってしまうと思いますし、人は誰しも、自分が苦しくなると他人に攻撃的になってしまうものと思います。
そんなときに、「猫の時間」について考えてみていただきたいです。
「建築の時間」や「植物の時間」なども、それぞれに相対的なものだと考えてみていただけると、どこかおおらかな気持ちになれるのではないでしょうか?
そんな広い意味での “謙虚さ” こそが、大げさにではなく、これからの時代の “Sustainability(持続可能性)” に繋がっていく唯一の哲学・思想である、と思います。
「猫の時間について考えることが、世界を救う」のです。
今はまだ “Wellbeing(ウェルビーイング)” を含めて、時間の相対性を日常の生活レベルに取り入れていこうとする概念は発展途上ではありますが、今後数年で、ますます世界中の人々の心を捉え、浸透していくことは疑いようがありません。
秋の訪れを感じつつ、様々な「時間」について、ぜひ考えてみていただければ幸いです。
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