BRAND VIEW | ‘キャンセル・カルチャー’ の行く末

Written by YUKI

/ CFO

 

August 17, 2020

 

 

皆さんは ‘キャンセル・カルチャー’ という言葉を耳にしたことがあるでしょうか。恐らく、初めて聞いた、という方が多いかもしれません。


Twitter のCEOであるJack Dorseyは、8月10日に The New York Timesのインタビューの中で、新型コロナウィルスの流行による世界的な「家籠り」のためにキャンセル・カルチャーが加速しているとの懸念を表明し、7月29日に実施されたApple、Amazon、GoogleのCEOらが集った公聴会の中でもメイントピックの1つとして触れられています。

 いま世界的なホットトピックである ‘キャンセル・カルチャー’ とはいったい何でしょうか。


辞書によると、キャンセル・カルチャー(あるいは Callout Culture)とは「インターネット上、特にSNS上で特定の人物の言動や行動を糾弾する現象」を指します。皆さんも、ネット上で過去の行動や失言について殊更に晒され、批判されている様子を目にしたことがあるかもしれません。

例えば最近の例を一つ取り上げると、作家の石原慎太郎氏が自身のTwitterで難病のALSのことを「業病」と表現し、社会から大きな批判を浴びて謝罪に追い込まれました(「業病」とは、前世の悪事の報いとしてかかると考えられてきた病のこと)。

この場合は石原氏の一つの失言を取り上げて、彼の全人間性や作家性までもを否定=キャンセルする運動がSNS上で巻き起こったわけです。「業病だなんて、ALS患者を侮辱している」、「言葉の使い方を間違えるなんて作家として失格だ」、「もともと作家として大したことない人だ」というように。


セレブリティが標的になることが多いこの現象ですが、一般人も標的になることがあります。最近の例では2020年の5月、ニューヨークのセントラルパークで犬にリードをつけずに散歩させていたエイミー・クーパーという白人女性が、たまたま近くにいてそれを咎めた黒人の男性を「不審な黒人が私を襲おうとしている」として警察に通報しました。その様子を捉えた映像が公開されるとたちまち世界的な大炎上を巻き起こし、結果的にエイミー・クーパー氏には「人種差別主義者」というレッテルが貼られ、彼女は社会的地位を失ったあげく、仕事を解雇されました。


果たして、石原氏やクーパー氏が受けた罰は正当なものだったでしょうか?

確かに、石原氏の「業病」という表現は間違いなく誤ったものであり、難病に苦しむ方々を語るには失礼極まりない言葉だったでしょう。しかしその前後の文脈に目を向けると、石原氏が単に「業病」という言葉の意味を知らなかった可能性は否定できません。

またクーパー氏の発言や行動は確かに人種差別的でした。しかし被害者の男性は後のインタビューで「たった一つの事例をもって、彼女が受けた攻撃や罰が正当だったかは判断できない。仕事を首になるというのは、恐らくやりすぎだ」と語っています。


いま、世界中のいたるところで ’キャンセル・カルチャー’ の是非が問われています。

Jack Dorseyが懸念しているのは、新型コロナウィルスの影響でネットへの依存度を高めたユーザーが、気晴らしに、あるいはエンターテインメントとして、人を攻撃してしまうことです。


そしてこの現象の最も恐ろしいところは、人々が気づかないうちに自らの「言論の自由」を制限してしまうところにあります。本当は自分を自由に表現するために始めたSNSという場所で、’キャンセルされる’ 恐怖に怯えて言いたいことが言えなくなってしまうとしたら、何と皮肉なことでしょうか。それは既に現実のものとなっています。


例えば上記の例で、クーパー氏を良く知る人が「エイミーは普段は優しいお母さんだよ」と発言したとします。これは、冷静に読めばクーパー氏の行動を擁護するものではなく、「彼女は完全な悪人ではない」という極めて妥当な指摘なのですが、’キャンセル’ の最中では、この人すらも「差別主義者の友人」として糾弾されるリスクがあるのです。

私たちは、果たしてそんなリスクを背負ってまで、冷静な言葉を言えるでしょうか。「やりすぎではないか」と。


私たちは、未だかつてないほどに「人との繋がり方」を考えざるを得ない時代にいます。

時には人の無責任な言動や行動に、憤りが抑えられないこともあるでしょう。


しかし、もし自分が人に恐ろしい言葉を投げかけてしまいそうになったとき、あるいは、そんな言葉をシェアしたいという誘惑にかられたとき、一度立ち止まって考えてみる必要があるのかも知れません。


「私は本当にその人の全人生や人格を否定するだけの根拠を持っているだろうか」と。


そして「私は自らの自由を ’キャンセル’ してはいないだろうか」と。

 

 

 

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