BRAND VIEW | レッドブルの広告はなぜ「くたばった」のか

Written by YUKI

/ CFO

 

January 17, 2021

 

 

皆さん、こんにちは。

1月もそろそろ中旬を迎え、ようやく正月ボケが完全に抜けたような気がします。

例年になく忙しくなりそうな2021年ですが、身体を第一に頑張っていこうと思います。

 

さて、つい先週のことですが、「翼をさずける」でお馴染みの飲料メーカー、レッドブルがこのような新聞広告を掲載して話題になったのはご存知でしょうか。

https://twitter.com/redbulljapan/status/1348389090077646850

 

「くたばれ、正論」というコピーは賛否両論...というよりは、消費者から大きな批判を浴びて炎上してしまいました。

端的にいうと、「みんなで頑張って感染症対策をしないといけないこの時期に、正論を無視して好き勝手やれってメッセージを送るのってどうなの?」という、多くの声が上がったのです。

 

とはいえ、この広告のコピーには「コロナなんて無視して好き勝手やろうよ」なんて一言も書いていないわけで、単に皆がコロナで苦しんでいるときだから、という理由だけではこの大炎上を説明できないように思います。

 

そこで、今回はなぜこの広告がこんなにも消費者の怒りを買ってしまったのか、もう少し深い観点から解説を試みたいと思います。

 

参考になれば幸いです。



1)”Politically Correct” な世界への回帰トレンド

 

つい先週、世界的なニュース雑誌 TIMEにこのような記事が掲載されました。

https://time.com/5928518/janice-min-hollywood-post-pandemic/?utm_source=twitter&utm_medium=social&utm_campaign=editorial&utm_term=entertainment_movies&linkId=108907457

 

「ハリウッドの”逃避経済”が曲がり角に」という題目ですが、内容は2011年9月11日に勃発した世界貿易センタービルのテロ以降にハリウッドがどのようなトレンドを歩んできたのかを解説し、そして今そのトレンドがまた1つの曲がり角を迎えている、ということを解説しています。

 

ここ数年盛り上がっていた「アンチ・ヒーロー」の流行が終わりを迎え、また世界は「王道の物語」を求め始めているというのです。

 

私はこのトレンドの捉え方は非常に正しいものだと考えています。

 

2010年代、アメリカの元オバマ大統領やEUのリーダーたちを中心にリベラル化・グローバル化が大きく推し進められてきた中で、2017年頃から様々な先進諸国でそこに「待った」をかける動きが起こりました。

 

「リベラルとかグローバルとかって正しいかもしれないけど、それって一般庶民を苦しめてるんじゃないの?」という声が大勢の労働階級の中から巻き起こったのです。そんな彼らの支持を受けて登場したのがアメリカのトランプ氏やイギリスのボリス・ジョンソン氏、フランスのマクロン氏など、自国第一主義を訴えるリーダーたちです。

 

彼らはまさしく「正しすぎる」世界に異を唱え、時流に取り残されそうな労働階級のために立ち上がったアンチ・ヒーローたちでした。

 

そしてそれに呼応するように『デッドプール』や『ヴェノム』、『ジョーカー』、『ザ・ボーイズ』などなど、多くのアンチヒーローたちの映画・ドラマが流行し、時代のメインストリームへと躍り出たのです。

 

しかしながら、新型コロナウィルスの流行を契機に、昨年頃からこのトレンドはまた大きな転換を迎えています。人間の気分やトレンドなど全く汲み取ってはくれない感染症との戦いの中で、「やっぱり正しい感染症対策って必要なんじゃないの?」と人々が気づき始めたためです。

 

時代の潮流は確実に「みんなで専門家の言うことをよく聞いて、正しくこの危機を乗り越えよう」という方向へと動いていきました。

 

昨年話題になった少年が看護師という新たなヒーローのフィギュアで遊ぶ様子を描いたバンクシーのアートなどは、実に的確にこのトレンドを捉えています。

https://www.huffingtonpost.jp/entry/banksy-nurse-covid-19_jp_5eb34f65c5b6526942a17b14

 

そして、「アンチ・ヒーロー」「アンチ・正論」の旗振り役であったトランプ氏の大統領選の敗北は、まさしくこのアンチ・ヒーローのトレンドに完全に終わりを告げる象徴的な出来事でした。

 

「アンチ・正論」の世界の中で対立し、ボロボロに傷ついた世界が再び「正論派」へと回帰しつつある中で、「くたばれ、正論」というのは完全に真逆のメッセージを送ってしまっています。

 

正論に疑問を投げかける試み自体が悪いわけでは全くありませんが、今回は人々の共感が最も得にくい時期に出してしまったと言えるでしょう。



2)現実の死を想起させる「くたばれ」という表現

 

もう一つ今回の炎上の大きな要因になっているのが、「くたばれ」という強い言葉です。

たとえば今回の広告が「正論って、いつも正しいの?」というコピーであったなら、同じメッセージを発していたとしてもここまでの炎上にはならなかったはずです。

 

しかし冷静に考えてみれば、「くたばれ」というのは「死ね」と同じ意味ではあるものの、キャッチコピーとしては「死ね」よりも市民権を得た少し上品な表現です。

 

「くたばれノストラダムス」というルパン三世の映画があったり、鬼滅の刃の人気女性キャラが「とっととくたばれ糞野郎」という決め台詞を用いていたり、子供の目にも触れるような公の場で「くたばれ」という言葉は結構使われています。

 

私が思うに今回の「くたばれ」が取り分けまずかったのは、現実の「死」が大きく報じられる最中に用いられてしまったことではないでしょうか。

 

感染症対策が不十分だったために亡くなってしまった大勢の人々、この広告が掲載される直前に起きたアメリカの議会襲撃事件の中で死亡した5人もの市民、彼らはいわば「正論に逆らう動き」が現実に死なせてしまった人々です。

 

このような時勢の中で正論の方に「くたばれ」という強い表現で反論すれば、読み手は否応なしに「正論ではない何か」に殺されてしまった人々の現実の「死」を連想してしまいます。

 

身近な人が亡くなったばかりの人に「死ね」というのがまずいのと同様、特にいまは「死」を連想させる挑発的なコピーを使うのに相応しい時ではありませんでした。

 

これはバッサリ言ってしまえば「表現のセンスが悪かった」ということにほかなりません。



3)Twitterという「渦中」の場への掲載

 

最後に、今回の炎上の直接の引き鉄となったのが、レッドブル公式Twitterアカウントへの広告の転載でした。

マーケティング的に言えば、新聞広告を単独で掲載するよりも、そのメッセージを拡散力の高いTwitterに転載して広げていくことはとても一般的で、効果の高い手法です。

 

しかしながら、いまTwitterという媒体は、先日のアメリカ議会襲撃事件をきっかけにトランプ大統領のアカウントを閉鎖してからというもの、「言論統制は是か非か」という熱い議論の真っ只中にあるメディアです。

 

Twitterの創始者であるJack Dorsey氏は、自身のアカウントに「Twitterのようなオンラインプラットフォームは人々の言論に規制をかけるべきではないが、現実の暴力を目の前に止めるという判断をせざるを得なかった」という旨の説明をしています。

https://twitter.com/jack/status/1349510769268850690

 

Twitterという場所は言論規制には否定的でありながらも、現実の暴力を止めることはそれよりも優先される、というスタンスを明確にしたと言えます。

 

その右派・左派入り乱れた議論の真っ只中に、ややもすると「くたばれ、リベラル」とも解釈できるメッセージを投じれば、今回のような炎上が起きることはもはや必至であったと言えるでしょう。

 

ここでも、賛否の「否」が集まりやすい時期にメッセージを投げてしまったと言えるでしょう。




いかがだったでしょうか。

 

最後に明確にしておきたいのですが、時代のトレンドに逆行したメッセージを送ることや、挑戦的な広告を掲載すること自体は決して悪いことではありません。

 

例えば、今回の広告に近いメッセージを発したAppleの伝説的なCM 「1984」は、たった一度全米のテレビで放送されただけにも関わらず、強い衝撃と賛否両論を巻き起こし、今なお「世界最高の広告」として語り継がれる名作です。

https://www.youtube.com/watch?v=R706isyDrqI

 

バンクシーのアートがこれほどまでに人々を熱狂させるのもまさに同様です。

 

全ては「時流を適切に捉え」、「優れた表現」を、「相応しい場所」に出すことができるかどうか、に掛かっています。

 

今回のケースは、まさにその3つ全てを外してしまった広告の大失敗例である、というのが私の評価です。

 

それでは!

 

 

 

 

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