BRAND VIEW | 「マスクをしない人」=「無神経な人」なのか

Written by YUKI

/ CFO

 

November 23, 2020

 

 

皆さん、こんにちは。

そろそろ11月も終盤ですが、今年はまだダウンを着るほどの寒さにはなりませんね。

夏との寒暖差が小さい影響で、紅葉の発色も今一つのようです。

大変残念ではありますが、そろそろ年末に向けて大掃除を始めようかな、なんて考えています。

 

さて、今日は最近あったある出来事を通じて学んだ、ある人間の心理について紹介したいと思います。

 

先日、近所のとあるバーガーショップで仕事をしていた時のことです。

私の近くの席では、恐らく40代くらいの私服の男性がコーヒーを飲みながら仕事をしていました。

ガラガラの店内の隅っこにある小さなテーブル席に1人で座り、周りには殆ど人がいないにも関わらず、コーヒーを口に運ぶとき以外は何度もこまめにマスクをつけ直している様子でした。

ついつい外出時にマスクをつけ忘れてしまうことも多い私などは、彼の様子を横目で見ながら「真面目な方だなぁ」なんて感心していました。

 

そんな時です。彼に一本の電話が掛かってきました。

盗み聞きしていた訳ではありませんが、口調からは仕事関係のお電話のようだと分かりました。

5分ほど電話をした後、彼は「失礼いたします」と丁寧な口調で締めくくり、電話を切りました。

すると、彼が電話を切るや否や、つい先ほど来店したばかりの50代くらいの女性が、怒ったような表情で彼のところに近づいていきました。

 

彼女はぶっきらぼうに

「電話するならマスクくらいつけなさいよ」

と彼に言い放つと、彼が「すみません」と返すのも聞かずに、自分の席へとズカズカと戻っていきました。

恐らく、彼は電話を取るときにたまたまマスクをするのを忘れていたのでしょう。

こまめにマスクを着け外ししていた彼の様子をずっと横で見ていた私は何とも申し訳ない気持ちになってしまい、思わず彼に「大丈夫ですよ」なんて目線を送っていました。

 

恐らく、同じような出来事を見たり聞いたりしたことがある方も多いのではないでしょうか。

 

さて、皆さんは上の出来事を読んだとき、ここで男性の「行動」を巡って、2つの「思い込み」が生じているのに気づいたでしょうか。

1つは言わずもがな、偶々マスクを外して電話をしている男性を見て「この人はマナーが悪い人だ」と思い込んで腹を立てた女性のこと、そしてもう1つは、偶々マスクをこまめに着け外ししている様子を見て「真面目な人だ」と思い込んだ私のことです。

 

そう、私も彼女も知らず知らずのうちに、全く見ず知らずの男性のたった1つの「行動」を見ただけで、その理由を彼の「人間性」に紐づけて考えてしまっていた、という意味では全く同じことをしていたのです。

 

ひょっとしたら、彼は真面目な人でも何でもなく、ただ無精ひげを見られたくないからこまめにマスクを着けはずししていただけかも知れません。それとも私が想像したように、彼は非常に真面目な人で、普段からマスクの着用を絶対に怠らないのに、あのときは偶々すごく重要な電話がかかってきてしまい、マスクのことが頭から飛んでしまっただけかも知れません。

 

そんな個別の事情に思いを馳せることもなく、たった一つの行動だけを切り取って、私たちは彼を「こういう人だ」と勝手にラベリングしてしまいました。

 

一体、なぜ私たちはこのようなことをしてしまうのでしょうか。

 

これは心理学的には「根本的な帰属の誤り(fundamental attribution error)」というそうです。

要約すると、私たちは何か個人の行動を説明しようとするとき、無意識のうちにその人の「内面的な要素」の方を、「状況的な要素」よりも大きいものとして考えてしまう、ということです。

 

「個」をより重視する西洋文化の方がより強くこの傾向が見られるものの、東洋文化圏でも同様の現象が見られるそうです。

 

なぜこんなことが起きてしまうのか、今のところはっきりとした定説があるわけではありません。

一説によると、「公正世界誤謬」=「この世界は公正なものであり、人間の行動に対しては常に公正な結果が返ってくる」という私たちの思い込みによって、この「根本的な帰属の誤り」が生じると考えられています。

 

つまり、人の失敗を「状況的」なものではなく「人の気質」に紐づけることで、世界が公正なものであると信じたい、という私たちの無意識の欲求を満たそうとしているのではないか、ということです。

上の女性の例でいえば、「マスクをしていないのは彼が無神経な人だから」と結論付けることによって、彼女の「私は常識的な人間だからマスクを着けているのだ」と信じたい欲求を無意識のうちに満たしている、ということです。

 

実に奥深く、恐ろしいことですね。

 

考えてみれば、このような「誤謬」は日常の至る所に潜んでいます。

「この人は簡単な漢字を読み間違えたから教養がないに違いない」「こんな発言をするってことは、この人は差別主義者に違いない」「財布をこんなところに置き忘れるなんて、この人は不注意な人に違いない」

 

私も思い込んでしまうことがよくあります。

 

人をラベリングすることで、私たちは自らの「自己肯定欲」を満たそうとしてはいないだろうか。

そこに、その人の「内面」以外の要因は本当にないのだろうか。

 

気を付けながら、思いやりを忘れずに暮らしていきたいものですね。

 

それでは!

 

 

 

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